能登島大橋開通の前後


こんばんは、息子です。
先ほどの記事の補足というか。
橋が通行出来るようになったのは、私が小学校4年生になった時でした。
それまでは、フェリーに乗って七尾(旧七尾市のこと。合併の前は能登島は鹿島郡能登島町でした)に行っていました。
島の中には病院やスーパーはなかった(診療所とか小さな店(駄菓子屋?)はありましたが)ので、それはもう不便でした。
まあでも、七尾(くどいですが旧七尾市)へ行くのは、ちょっとした旅行気分だったと思います。
家からだと、バス(1日に5,6本でした)で波止場(今でいう能登島佐波町にあります)へ行き、波止場からフェリーに乗って七尾港(現在は能登食祭市場)まで行って、あとは歩きだったと思います。
記憶にある耳鼻科は七尾駅の近くでしたが、調べてみると大人の足で10分くらいの距離ですね。
よく歩いたもんです。
車をフェリーに積んで出かけるようなこともありましたが、それこそ年に1度、有るか無いかの大旅行でした。
能登島大橋が開通してから、バスは「七尾波止場」行きか、「(能登島)大橋駐車場」行きのどちらかになりました。
通勤通学(と言うよりは、通院通学って感じです)の時間帯は前者で、それ以外は後者です。
バスも橋を渡るのは有料ですので、なるべく本数を減らそうということだと思います。
何にせよ、橋を渡ると途端にバス料金が高くなるのです。
本当に、今思えば不便以外の何者でもありません。
車が一人一台の理由もわかるもんです。
実家も、農漁業用にトラックと、旅行用にワゴン車が1台ずつありました。
大橋の開通に合わせて、のとじま水族館も開館(うろ覚えですが、大橋が4月開通、水族館が7月開館)し、観光地として町おこしが始まりました。
この頃から、民宿の数も増えてきたと思います。
若林荘は創業が昭和53年(1978年)ですので、少しだけ歴史がある方ですね。
高専時代、時々実家に帰ると、知らない建物が出来ていたりしました。
別荘地として売り出しているのか、ぽつんと一軒家が出来ていたり、小洒落たアパートのような建物も出来ていたりしました。
そして、気がついた時には中能登農道橋(ツインブリッジのと)という橋が開通し、能登島大橋も無料化されました。
帰省した時に能登島大橋の料金所が無くなっていたのはビックリしました。
まあ、そんなお話です。